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手術をする時、いろいろなことが心配ですね。この私も一度、甲状腺がんの手術をしたことがありました。その時、まず手術をするときに自分が意識がなくなることについて、とても恐怖がありました。それは、もしも目が覚めなかったらどうしようという、そんな恐怖です。そんなことはないと思っていても、あるかもしれないと、そんな心配ばかりをしていました。家族と会うことができなくなるかも知れない、遺書を書いておいたほうがいいのか、そんな余分なことを考えていました。
そんな時、緊張している私の気持ちを察したのか、麻酔科医が訪ねてくれたのです。そして麻酔のことについて、とても丁寧に説明してくれました。その説明を聞いて、とても安心することができたのです。どんな風に麻酔をするのか、どんな感じになるのかなど、不安に思っていることについて話してくれます。
またとても優しい雰囲気の医師だったので、その点でも安心することができました。顔を見ることが出来るのは、とても安心します。

私の家は、祖父母とも一緒に暮らしているため大家族です。そのため、家族の内誰か1人でもインフルエンザなどの人に感染する病気になったりすると、たちまち家族全員に感染してしまいます。家族全員がそれぞれ生活リズムが違ったりするので、できる限り家族に移さないようにすることがとても大変です。また、病気になったときの正しい看病の仕方に悩んだこともあります。

家族全員が使うトイレやお風呂場などの共同の物には必ず消毒をしました。また、玄関や居間のドアノブにはビニール袋を被せて、インフルエンザが流行している時期は毎日取り替えるようにしています。これだけでもだいぶ家族全員に病気が移ってしまうことを防げるのですが、1番危険な食事の時間を特に気をつけることでより感染を防ぐことができました。それは、必ず食事の前には手洗いうがいをさせることと、病気になっている子のご飯は必ず別の食器で食べさせること、食べさせる時間をずらすことです。

家族の内誰かが病気になってしまったときは、常に一緒にいる時間が長い家族だからこそ協力をしてあげると良いです。もし、家族の誰かががんになり抗がん剤や放射線治療といった大変なことがあっても、この家族なら協力していけると思いました。

30歳になってから、胃と腸の辺りに不快感を感じるようになりました。

特に空腹時に胃の下側がチクチク痛くなったり、吐き気のような気持ち悪さが出るようになりました。

おかげで、食事の量は減ってしまい、体重も1ヶ月で3キロほど痩せました。不快感がずっと続いていたので、病院で胃カメラをしてみると十二指腸潰瘍になっていることがわかりました。

まず、病院で処方された薬を1ヶ月間、毎食後に服用しました。

始めはあまり効果がありませんでしたが、1週間を経つと、不快感が少しずつ治まってきました。

医師から十二指腸潰瘍の原因の多くはストレスであると聞いたので、ストレスを溜めないように、定期的な運動を心がけました。

また週に1回以上は友人と外食をし、気分転換するようにしました。薬の作用と、ストレス解消法がうまく効いたため、1~2ヶ月で十二指腸潰瘍を治療することに成功しました。

今は薬を飲まなくても、不快感や痛みはありません。

 

何かおかしいと異常を感じたら、すぐに病院で検査をした方が良いです。がんにも免疫治療があるくらい、医療が進歩しているので、すぐに原因がわかると思います。放置しておくと、悪化してしまいますよ。

体の自由が効かない入院中は一日中ベッドの上で過ごすことも少なくありません。

だからこそ時間の使い方を改めないと、一日中ただぼけーと過ごすことになってしまうなと感じました。

もちろん入院中は病気を治療するために体を休めることは必要不可欠ですが、治癒力や気力は何もしていないと落ちていく一方だなと思います。

だからこそ目的意識を持って過ごすことは、病気の治療に大切なメンタルケアになるのではないでしょうか。

快適に過ごすためには、自分がリラックスできる環境をつくることが大切です。

音楽を聴くことが好きならばミュージックプレーヤーとヘッドホンを持参することがいいでしよう。

長時間聞いていても疲れないようにイヤホンよりヘッドホンがいいと思いましたし、また曲に飽きたら買い足すことができるようにパソコンなどもあると便利です。

特に病気で痛みが強いときは何も手につかない、横になっていることしかできないこともあります。

そういうときに音楽は強ばった筋肉を弛緩してくれますし、時間が早く過ぎるよう感じさせてくれるので、目をつむっていても楽しめる入院生活と音楽のセットは大事だと思ってます。私はそうやって乳がん手術の入院生活を乗り越えました

がんのセカンドオピニオンでわたしのおばあちゃんが大腸ガン、叔母が乳がんと診断されました。

2人とも幸いなことに手術や薬で治すことが出来ました。が、叔母は抗がん剤を使用していたため髪の毛は抜け落ち、常にカツラと帽子をかぶって生活していました。

また、乳がんにより乳房を取っているため周りの目も気になってしまい、そうなるとやはりあまり外に出なくなり、性格が暗くなってしまいました。

最近ではがんは治る病気だというイメージがあります。テレビでなとで実際にガンを克服した方等の話や、ネットなどもすごく進化しているため、情報をたくさん得ることができます。

可愛い帽子や分かりにくいカツラなどの情報を得ることができ、叔母にすすめることができました。

叔母もそれを使用し、外にでることも多くなり、性格も徐々に明るくなっていきました。

わたしもそれを見て明るくなりましたし、ネット等で同じ状況の方を見れたので安心することができました。

がんはいまは治らないものではありません。たくさんの治療法、またお医者さんにはできないこと(家族が精神的に支えること)で症状もだいぶ良くなると思います。

あきらめずに戦うことが大事だと思います。

父が心臓のバイパス手術を受けたので、お見舞いに行こうと思って支度をしていたら、胃のあたりが痛くなってきて、変だなと思いながらだんだんと痛みが鋭くなっていくのを感じていました。でも、行く先が病院なので、何かあったら病院で診て貰えばいいと思ってタクシーに乗って父が入院している病院に行きました。

 

そうしたら、病院に到着した頃には、前のめりにならなければならないくらい痛くて、両親とエレベーターの所で会って、そのまま車椅子に乗せられて救急で診察を受けることになりました。

 

とにかく痛くて大変だったのですが、足の付け根の動脈から採血を受けて、急性膵炎という診断でした。ところが膵管に詰まっていた胆石がすっと取れたようで、痛みがすぐに引いていったのです。一応、急性膵炎は危ないということで、入院しましたが、痛みはありませんでした。

 

でも、胆嚢の中に砂のようなものがたくさんあるので、胆嚢の摘出手術を受けた方がいいと言われました。でも、その時は摘出手術は受けませんでした。

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1型糖尿病になりました。毎月かかる診察代・インスリン代・針代などが高いことに困っています。
原因不明で、若くしてかかる病気で、一生治らないのに難病でもなく、障害者にもなりません。
子供の場合は医療費がかからないみたいですが、30代での発症なので自腹です。周りにも言いにくく、メンタルも傷つき、仕事も辞めました。

仕方がなく毎月高い医療費を支払っていますが、生活が厳しいです。病気を受け入れてくれる仕事先を探し働くしかないと思います。
まわりの家族にも協力してもらい、支えてもらいます。食事も制限され、毎日注射を何回も打ち、それでも治らない病気なので、メンタルが傷つきますが、インスリンさえ打てば生きられる、普通の人と同じく動ける、動けるなら何でもできる、と自分を励ましながら生きて行きたいと思います。
だめになるその日まで、全力でがんばりたいです。

辛いと思います。あまり知られていない病気で、名前だけ聞くと、何食べて生きてたの?と思われるかもしれません。非喫煙者なのに肺がんになった友人も同じような質問を受けるそうです。でも大切な人達は理解してくれます。がんばりましょう。

5、6年前から激しい腹痛が突発的に現れるようになりました。しばらくは腹痛だと軽く考えていたのですが徐々に痛み強く継続的に起こるようになったため、近所の胃腸科を訪れることにしたのです。

検査の結果、恐らくは過敏性腸炎だろうとの診断で痛みを抑える作用のある薬と整腸剤を貰ってきました。

過敏性腸炎は完治することが難しいようで、ストレスが発症の大きな要因になるようです。勤務中は一日に何度もトイレに駆け込んでいる状態で、まともに仕事にならない日もありました。

仕事のストレスに加えて周囲に迷惑を掛けてしまっているという思いで症状は悪化していき、当時は心身ともに疲弊しきっていたのでした。

私は現在でも腹痛に悩まされています。朝、目を覚ましてから布団に入るまでの間は油断出来ないため、せめて電車の車内では落ち着いていて欲しいと願う日々を送っています。

ただ、以前に比べれば症状の改善はしています。接客業で常に緊張を強いられる前職を退職して、今は全く違う仕事をしています。

転職してからは大きなプレッシャーを感じることも少なくなり、日課となっていたトイレと職場の往復も、ほとんどなくなりました。
私のケースでは転職が症状の緩和に影響したようです。

過敏性腸炎とは長い付き合いになるため、症状が原因でよりストレスが掛かるという悪循環に陥りやすい病気です。
焦らずにストレスになる要因を生活から出来る範囲で排除していくことが、症状の改善につながるのではないかと考えています。

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高校生の時に目の付近にソフトボールをぶつけてしまって一時的に炎症が見られましたし、何より少しずつ片目の視力が落ちている状況になったのですぐに学校から家に帰宅する事にしたのです。帰宅して、眼科に行く事にしましたけど眼科は初めてで目の検査などを細かく行いましたし、目ということもあって1つ1つの検査を受ける時に不安を感じながら検査を受けたのです。ちょっと目の部分がちくっとする検査もあったりとすべてが初めての経験だったのでちょっと落ち着く事も出来なかったですし、うまく自分の感情をコントールするのも大変でした。ただ、無事に検査が終わって治療もうまくいったので数週間後にはすっかりと目の炎症もなくなり、視力も戻ったので良かったです。目の病気になったりすると、さらに詳しい検査をしたりさまざまな治療を受けると思うので、目の怪我や病気にならないように注意しなければいけないと思いました。その怪我依頼は眼科に行く事はないですし、目の怪我や病気の意識が強くなって良かったです。

私が23歳の時、宇都宮で乳がんの治療を受けた際に、副作用による下痢と腹痛に苦労しました。
どんな食べ物でも口にするとすぐに腹痛になり、トイレに駆け込む毎日だったので精神的にも参ってしまいました。
体重も5キロ程落ちて、体力もなくなっていたのですが、気晴らしにと思い、友達と外出しても疲れてしまい思うように動けない日々でしたので、いつかみんな私に愛想つかして離れていってしまうのでは?などネガティヴなことばかり考えてしまって辛かったです。

下痢や腹痛は治療終了後から徐々に良くなりましたが、今も薬がないと生活できません。
でも家族、友人、会社の上司など周りの方々がゆっくり自分のペースで生活していけばいいんだよ。と暖かく見守り、そして支えてくれたので気持ちは楽になりました。
以前は周りの人に頼れなかった私ですが、病気になったからこそ人の優しさと自分の弱さを感じ、もっと甘えていいのだと気付けたので自然とネガティヴに考えることも減っていきました。

がんになってしまうと辛い治療も経験しますし、気持ちが沈んでしまうことがあると思います。
しかし、周り見ればたくさんの方々が支えてくれているはずです。その方々の為にも必ず乗り越えられると強く思う事で気持ちが楽になれると私は思います。