コンテンツへスキップ

私は3年前子宮頸癌で手術し、その時には術前0期であろうということで、簡単な手術で終わったのですが、昨年末再発しまして、1b期しかも再発ということで、子宮、卵巣、リンパ節をとる手術をしました。
後遺症が結構あって、今は栃木県の放射線治療科で通院しています。
先日、胆管細胞癌であった友人が亡くなりました。
東京女子医大で「手の打ちようがない」といわれ
代替療法を行い、ご家族の話ではかなり楽に逝けたようです。
丸山ワクチン、日田天領水、フコイダン、アガリクス、鮫の軟骨、漢方薬等々全て一気に行ったようです。
亡くなる2週間前まで自分で運転し、丸山ワクチンをうちに出かけていて、その後、数日して食べ物が食べられなくなり、痛みも出てきたようで入院し入院していたのは10日ほどだったと聞いています。
かなり悪性度の高い癌らしく、またその中でもとくに質の悪いガン細胞だったようです。
QOLは高かったのではないかと思うので、私も今免疫力を高めるために、手頃なお値段の日田天領水、アガリクス茶を飲んでいます。

私の慢性的な体調不良が爆発した後、医者を変えて心療内科へ行きました。今でもお世話になっていますが、ここ最近で気づいたことがあります。
心療内科ではカウンセリングが行われますが、私はいつも薬をもらいに行くという形であまり意味はありません。ある日、私はそこで薬の量を減らしてみたらどうなるだろうか、という相談をしました。すると、医師は「どれくらい減らしますか?」と聞いてきました。とても違和感がありました。私の中で医者とは、専門知識を活かして、こうしてくださいと患者に指示を出すものだと思っていたからです。この質問からわかるのは、薬の量をコントロールするのは私、つまり患者側だということになります。
ケースバイケースなのかもしれませんが、頼りにできないという感情が生まれたのは事実です。結局のところ、明確に治るとわからないものや、原因が特定しにくいものから来る病気は自分でどうにかしないといけないのだと学びました。

PR|がん診断のセカンドオピニオンは|

一時期かなり悩んでいたことの1つに、嘔吐症状が仕事中に出る、というものがありました。そしてこれは、何年も医者に通って毎日欠かさず薬を飲んでも効果がなく、食道がんや胃がんの疑いでセカンドオピニオンとして医者の系統を変えても治りませんでした。終いには仕事が辛くなってしまい、精神的に疲れて少しお休みをもらったこともあります。

 

しかし、そこまでして治らなかったものが私のふとした思いつきによって回避できるようになったのです!あまり良くない方法なのですが、仕事に出かける1時間前に、私は胃の中に入っている空気を抜くようにして洗面台で苦しみます。

 

これをするようになったのは、仕事中に苦しいのは、嘔吐前にあがってくるような感覚がある空気かなと思ったことがきっかけです。ならばこの空気を先に出してしまえば良いのではないか?と。
それからこれが習慣になり、苦しむことなく仕事ができるようになりました。病気は医者に行けば楽になるとは限らないようです。

私が乳がんで入院したのは22歳のときでした。突然倒れ救急車で運ばれ入院。入院期間はそんなに長くはなかったのですが、自分が物心ついて初めての経験だったので、表現できない不安が襲ってきました。
入院先の病院は私が生まれた所です。なじみはあるけど、ここへ戻ってくるとは思っていませんでした。
数日間安静にしていたものの、仕事に対しても焦り、今後の生活も気になり落ち着いていられませんでした。友人がお見舞いに来てくれるものの、みんな健康でいいなと劣等感すら感じるようになりました。
そんなとき、話せるようになった人たちがいました。まずは看護師さん。いつも丁寧に接してくれて、私に一番親身に接してくれた看護師さんは特に母親のような人でした。気さくな姿に心を癒されました。
次に、入院患者さんです。何名かと話すようになって、確かに傷のなめ合いだったのかもしれません。それでも、不安を抱え合っている者同士の言葉は支えとなりました。
あのとき、一人だったらどうなっていたかと思うと不安でなりません。しかし、一人ではない、そう思えた瞬間でした。

母の癌の症状が悪化して救急車を呼んだ時のことです。救急隊が自宅に到着したまではスムーズでした。しかし、救急隊員が搬送先の病院を見つける苦労は、尋常ではありません。深夜だった事も原因でしょうか。お世話になったことのある病院に問い合わせてみましたが、回答は「NG」でした。

 

数時間が経過し、ようやく「行き場」を得た母を乗せた救急車は深夜の街を走り抜けます。病院は受け入れ態勢を準備し、急患である母を受け入れてくれました。家族としてはホッと一息です。後で聞いた話ですが、急患を受け入れてくれる病院を探すのは難しくなる一方という事です。

 

高齢化が進み急患が増える一方、病院の空室数は限られています。急患で搬送された高齢者が、病院から受け入れを拒否された例も少なくありません。病院で拒否されてしまうと、自宅へ帰る時には介護タクシーを使わなくてはなりません。

 

物悲しい現実です。母の場合は不幸中の幸いでした。今後もこうしたケースは増えると思います。解決策があることを切に願います。

認知症で普段老人ホームに入居している88歳の祖母が、ここ半年くらい病院に入退院を繰り返しています。症状は食欲不振で、同時に炎症反応が上がってしまうことが原因です。

通常なら胃腸やその他の内臓の検査をするのだと思いますが、主治医と話し合って検査や積極的な治療はしていません。主治医曰く、高齢者の場合、胃腸の内視鏡検査などはその検査することが負担になり、その後全く食べられなくなってしまうことが多いのだそうです。そしてもし内臓にがんなどの病気が見つかったとしても、もう開腹手術をできる体力はないということです。

そのため食欲不振と炎症反応については謎のままなのですが、本人がそれで苦しんでいる様子もないので、このまま残りの時間を穏やかに過ごしてほしいと願っています。

今の祖母の経験から、なにか症状があれば何でも検査、そして手術というのではなく、年齢や本人の状況や希望によって治療方針を考えていくという大切さを学ぶことができました。

PR|宇都宮の呼吸器内科|

栃木県の放射線治療科で働きながら一人暮らしをしていたときに、暴飲暴食・食生活の乱れがもとで、ありえないぐらいの高血圧と高尿酸値症になったことがあります。
家族と離れて暮らしていたため、一応報告はしたものの食生活はもちろんそれ以外の日常生活(ストレスなど)もあったため、一人では不安がかなり大きかったです。
また、高血圧で医者にかかっても、基本は薬を定期的に処方されるだけだったため、定期的にそこの医師にかからないといけないのも手間でした。

まず食生活の改善を行いました。
高血圧のもとになった塩分を控える(カップラーメンや塩っ気の多い食事は控える)、野菜を摂る、週末などには実家に帰ってバランスの取れた食事を食べるなどしました。
また、サプリメントや健康補助食品なども取り入れて、普段の栄養バランスを整えるようにしました。
それと並行して血圧や尿酸値を下げる薬を服用して、問題が起きないように心がけていました。
そして、最終的には実家に戻ることにしました。親が食事を作ってくれるので、栄養バランス的には問題がなくなりました。

生活習慣病といわれる高血圧は、普段の生活ではなかなか目に見えないため分かりづらいです。
それでいて例えばお菓子やコンビニ、外食などでは塩分や添加物などが多いため、自分だけではなかなか気をつけきれないところが多いです。
そういうときは、サプリメントに頼るのもありだと思っています。
健康を失ってからの処置は、予防するよりもお金がかかりますし、健康は一度失うと取り戻すのに時間がかかります。元気印だった叔母もすっかり落ち込んでいたものです。

入院をした時、快適に過ごすコツの一つとして、同室者と仲良くすることが大切と思っています。そのように思うのは、なんといってもそこで生活をすることになるからです。一人で困っている時に、看護師さんと呼ぶことが多いです。ところが、その時にとても心細いのです。そんな時、同室者が助けてくれることがありました。
そのことは、とてもありがたいですね。同室でいるということは、何かあった時に感じてもらうことができます。元気になると、そのことを思い出し本当に助かったと感謝の気持ちでいっぱいになります。そして、私も協力をしながらそこで入院をしていこうと思うことができていました。
同じ部屋ということは、いろいろな話をすることがありました。家族の話、入院した経緯、受けている放射線治療の種類についてなどたくさんのことを話します。
そしてその中で、自分の気持ちを話すことによりすっきりとさせることができていました。そのため、話すということができた事はとてもありがたかったです。

がんのセカンドオピニオンでわたしのおばあちゃんが大腸ガン、叔母が乳がんと診断されました。

2人とも幸いなことに手術や薬で治すことが出来ました。が、叔母は抗がん剤を使用していたため髪の毛は抜け落ち、常にカツラと帽子をかぶって生活していました。

また、乳がんにより乳房を取っているため周りの目も気になってしまい、そうなるとやはりあまり外に出なくなり、性格が暗くなってしまいました。

最近ではがんは治る病気だというイメージがあります。テレビでなとで実際にガンを克服した方等の話や、ネットなどもすごく進化しているため、情報をたくさん得ることができます。

可愛い帽子や分かりにくいカツラなどの情報を得ることができ、叔母にすすめることができました。

叔母もそれを使用し、外にでることも多くなり、性格も徐々に明るくなっていきました。

わたしもそれを見て明るくなりましたし、ネット等で同じ状況の方を見れたので安心することができました。

がんはいまは治らないものではありません。たくさんの治療法、またお医者さんにはできないこと(家族が精神的に支えること)で症状もだいぶ良くなると思います。

あきらめずに戦うことが大事だと思います。

父が心臓のバイパス手術を受けたので、お見舞いに行こうと思って支度をしていたら、胃のあたりが痛くなってきて、変だなと思いながらだんだんと痛みが鋭くなっていくのを感じていました。でも、行く先が病院なので、何かあったら病院で診て貰えばいいと思ってタクシーに乗って父が入院している病院に行きました。

 

そうしたら、病院に到着した頃には、前のめりにならなければならないくらい痛くて、両親とエレベーターの所で会って、そのまま車椅子に乗せられて救急で診察を受けることになりました。

 

とにかく痛くて大変だったのですが、足の付け根の動脈から採血を受けて、急性膵炎という診断でした。ところが膵管に詰まっていた胆石がすっと取れたようで、痛みがすぐに引いていったのです。一応、急性膵炎は危ないということで、入院しましたが、痛みはありませんでした。

 

でも、胆嚢の中に砂のようなものがたくさんあるので、胆嚢の摘出手術を受けた方がいいと言われました。でも、その時は摘出手術は受けませんでした。

PR|最新のPETで食道がん検査|