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母の病気を通し、在宅看護の難しさを知り、患者本人にとって何が最良なのかを考えさせられる

父の死後20年近く、私達子供を経済面でも、精神的にも何かと支え続けてくれた母も、5年前に認知症を疑って罹った近くのクリニックで、脳リンパ腫と言う脳腫瘍の末期と診断され、辛い闘病の末、4ヶ月後に自宅で静かに息を引き取りました。

再検査と治療法を求め罹った別の病院で、一旦は生検の判断後の治療に望みを繋ぎ、入院を続けることも考えましたが、主治医の度々の心無い言動や、病院に対する不信感も有り、何より既に母の右半身に、顕著な麻痺も現れ始めていて、普通の検査ですら見て取れるほど負担が掛かっている上に、頭蓋骨に穴を開け腫瘍の一部を採取すると言う生検は、とてもその心身には耐え難いと判断し、兄姉達と相談の上、効果の程も定かではない、治療を前提とした生検を受けないことを決め、生検せずには治療も出来ないと困惑する主治医には、今後治療を受けられないことは承知の上でと伝え、退院を申し出ました。

そして入院中に家に帰りたいと言っていた母にも、今後治療を受けない事への覚悟を確認して、姉と私の2人を中心としての、在宅看護をスタートさせることを決断しました。

その決断に至った日が、くしくも東北大震災の日で、前日から入院しており連日検査で病院内を移動していて、その日は、眼科での検査待ちの時に強い揺れを経験しました。

そして間もなく東北で大きな地震が発生したことを知り、夕方病室のTVで、濁流に飲み込まれた惨状を目にすることになりました。

自分の病状も顧みず、母が思わず「大変やねえ」と、震災に遭われた人達を気遣い、心配そうに呟いた言葉が、まだ鮮明に耳の奥に残っています。

翌朝退院の後、在宅看護始めましたが、兄が不測の事態に備えて、自宅近くの在宅医療に対応している開業医の先生に相談して今後の対応を依頼し、渋々応じてくれた病院の元主治医とも連携を取ってもらい、入院中服用していた投薬などの処方をしてもらうことが出来ました。

また看護ヘルパーさんにもサポートしてもらいましたが、母が家族以外の人に接する事をとても嫌がったので、それはもうずっと後になりました。

それまでは、素人が手探りで行う行き届かない看護で、母への想いは同じでも、家族の中でも意見の食い違いもあり、母への対応をめぐって、何度も衝突が起こりました。

また自分の未熟さや不甲斐なさなどで、投げやりになりそうになることも度々ありましたが、母が度々見せてくれる輝く様な笑顔で、何度その絶望感から救われたかも知れません。

ただ病状は確実に悪化して行き、亡くなる2週間前頃からは、食事も殆ど食べられず、水さえも飲み込むことも出来ない状態となり、点滴で栄養を補うことしか出来ない状態となりました。

母は元々血管が細く、それが衰弱によってもろくなっており、容易に針を入れることも出来ず、その痛みに嫌がる様子を見せることも度々でしたが、少しでも母に生きていて欲しいと言う家族の勝手な願いから、辛い思いをさせてしまいました。

やがて呼吸困難を起こすようになり、酸素マスクをはめてからは危篤状態が続き、その数日後に静かに息を引き取りました。

父を病院で看取った時の後悔も、母の在宅看護を決意した理由の一つですが、そんな今回も同様に後悔が残りました。

母にとって、在宅看護が本当に最良の対応だったのかどうかと言う後悔です。

あの時生検を受けさせていたら、万に一つでも効果的な治療方法が見つかり、病状を改善させることが出来ていたのではないか、もう少し長く、楽に過ごせていたのではないかと言う思いです。

結局患者本人が一番辛い思いをすることに変わりなく、病院でも在宅でも、さほど違いはないのではないか、家族にとってのいずれが最良かと言う事ではないかと、今にして考えればそう思えます。

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